船津胎内樹型(山梨県南都留郡富士河口湖町)

樹木が連なる複合溶岩樹型

「船津胎内樹型」は今から千年以上も前の西暦932年に富士山八合目の剣丸尾火口から流出した剣丸尾第一溶岩流により形成されました。「船津樹型」の周辺には当時の溶岩流出より形成された溶岩樹型が大小合わせて100近く存在していますが、「船津樹型」が中でも最も大きい樹型です。「溶岩樹型」は地質学上非常に珍しく、世界でもハワイと富士山麓にしか見られない貴重なものです。「船津胎内樹型」は山梨県南都留郡富士河口湖町船津にある全長約68mの「溶岩樹型」です。「溶岩樹型」とは溶岩が流れ出た際に樹木を覆ったまま固まってしまい、中の樹木が燃え尽きてできた樹型が残ったものです。燃え尽きた後は溶岩の内部に樹型の形の空洞ができるわけですが、「船津胎内樹型」は数本の大きな樹木が連なってできた複合溶岩樹型です。1本1本の樹木は大きくなくても、何本もの樹木が重なれば洞穴になるだけの立派なスペースが出来上がります。樹型内の「母の胎内」部分は2本の樹型が連なってできており、「父の胎内」は高さ18mにも及ぶ1本の樹型により形成されています。もちろん、溶岩により形成された自然の洞穴ですから狭い部分も多く、全長約68mといえども高さは1mにも満たない箇所もあります。

河口湖フィールドセンター

「船津胎内樹型」は「河口湖フィールドセンター」の敷地内の「船津胎内神社」の中に洞穴の入口があります。「河口湖フィールドセンター」は「冨士スバルライン」の料金所手前の「冨士スバルランドドギーパーク」の近くにあります。富士山剣丸尾溶岩流上の自然林の中にある自然体験施設で、「船津胎内樹型」をはじめとする溶岩樹型群を見学する事ができます。施設内には富士山の成立や付近の自然の恵みを知る事ができる展示物や資料があり、樹型群をネイチャー・ガイド(自然解説員)付きで散策する事もできます。

 

「胎内」の呼称の由来

「船津胎内樹型」が「胎内」と呼ばれるのは樹型の形が人間の内部の様子に似ているからです。洞穴には「肋骨」、「母の胎内」、「父の胎内」の呼称の場所があり、特に「肋骨」の部分は側壁の溶岩が肋骨の様な形をつくり、溶岩は鉄分を含んで赤くなっているので、さながら人間の胸の中にいるような感覚を与えます。 

冨士講の「胎内めぐり」

「船津胎内樹型」では富士講の信者によって洞穴内を巡る信仰行為である「胎内めぐり」が行われました。樹型が形成されたのは932年の富士山噴火によってですが、樹型は1673年に冨士講の信者によって発見されました。他の樹型は富士講の開祖角行によって既に発見されて内部に浅間大神が祀られていましたが、「船津胎内樹型」の発見により浅間大神が遷宮される事となりました。それ以来、「船津胎内樹型」は富士山信仰の聖地として巡礼されるようになりました。富士山登拝の前には必ず「胎内めぐり」をすることとなりましたが、その由来は胎内に入る事で生まれ変わり身を清めるという意味があるからでした。「胎内めぐり」をして生まれ変わる事で身を清めて聖なる山である「富士山」に登る事が富士山信仰の儀式と考えられていたからです。江戸時代に最盛期を迎えた富士講は冨士登拝の際にはろうそくを手にして足にも両膝にも草鞋をつけて狭い樹型を進んだといわれています。

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