人穴富士講遺跡(静岡県富士宮市人穴)

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冨士山信仰の聖地「人穴」

静岡県富士宮市人穴の県道75号線沿いにある「人穴富士講遺跡」は「人穴浅間神社」の境内にある富士講信者が建立した232基の碑塔群です。神社社殿の傍にある「人穴」は江戸時代の富士講の開祖長谷川角行が「人穴」に篭って四寸五分の角材の上に爪先立ちを千日間行ったとされる修行の場で、角行はここで仙元大日神の啓示を受けたといわれています。又、角行は「人穴」で入滅したといわれており、富士講の聖地として信仰の対象とされてきました。「人穴」は「角行の修行の場」、「富士講の浄土門」として崇拝される様になりました。「人穴」は高さ約1.5m、幅約3m、総延長約83mの冨士山噴火で形成された溶岩洞穴です。鎌倉時代に生まれた日本の歴史書である「吾妻鏡」には鎌倉幕府2代将軍頼家の家来新田四郎が「人穴」を探検した記録があり、「人穴」は「仙元大菩薩の御在所」として記されています。尚、「人穴」洞穴内部は崩落の危険性がある為、現在立入禁止となっています。

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世界遺産「冨士山」の構成資産

「人穴富士講遺跡」は平成25年6月に世界文化遺産として登録された「富士山と信仰・芸術の関連資産群」の25ある構成資産の一つです。平成11年(1999年)には富士宮史跡に指定され、平成23年には「富士山頂及び冨士山周辺にある冨士山信仰の関連施設及び関連遺跡」として「国史跡」に指定されています。「史跡冨士山」として各施設・遺跡の整備計画が既に進められており、「山宮浅間神社」は「遥拝所」の整備、「村山浅間神社」は「大日堂」の修理、「人穴富士講遺跡」では碑塔、洞窟の整備が計画されています。「山宮浅間神社」と「人穴富士講遺跡」では世界遺産登録前の平成25年3月に観光客の増加を見越して、新たにトイレと観光案内所が設置されました。観光案内所は現在主に土日祝日にガイドが常駐しており、「人穴冨士講遺跡」や周辺の観光情報を得る事ができます。駐車場は鳥居の奥に入ると普通車40台、大型車4台のスペースがあります。

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「富士講」とは

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「富士講」とは角行が広めた富士山の神への信仰の講社、宗教体系、宗教運動を指します。「講社」とは同じ神仏を信仰している人々の団体の事です。「冨士講」は江戸時代に江戸を中心に関東地方で発展し、「江戸八百八講、講中八万人」といわれるほど隆盛を極めました。冨士山の神への崇拝と信仰の行事として「富士登山(冨士詣)」が盛んに行われましたが、登山の前には開祖角行へが入滅した富士講の聖地「人穴冨士講遺跡」へ訪れる信者が後を絶ちませんでした。「冨士講」では記念の碑塔を奉納する事が信仰として栄え、冨士講講者による記念碑の奉納が数多く行われており、これまでに232基の碑塔が建立されています。浅間神社の周辺には辺りを埋め尽くすほどの碑塔が建立されており、当時の富士講の活動がいかに盛んであったかを窺い知る事ができます。戦後は冨士山の観光化、レジャー化が進んで、富士登山での信仰性も薄れ、「冨士講」の活動も衰退して行きました。白装束に身を包み、身を清めて冨士山の神を崇拝して冨士登山をする様子は、現在では浅間神社等の各種行事でしか見る事ができなくなりました。 

人穴浅間神社

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 主祭神は「木花咲耶媛命(コノハナサクヤヒメノミコト)」、「源家康朝臣(ミナモトノイエヤスアソン)<徳川家康>」、「藤原角行」です。創建は17世紀中頃で角行により開かれた冨士講の二世日珀、三世珀心と伝えられています。富士信仰ではかねてより大日如来を冨士の本尊として祀っており、「人穴浅間神社」は元は「大日堂」として鎮座していました。しかし、明治期の神仏分離令によって寺院の「大日堂」は廃止され、神社の「人穴浅間神社」へ変わりました。その後、昭和17年(1942年)に「人穴」に陸軍少年戦車兵学校が開校された際に、同地区が軍用地として接収された為に浅間神社も移築されることとなりました。戦後、昭和29年(1954年)には元の場所に再興されました。

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